陣痛

17年某日

出産予定日前日、私は仕事に行っていました。

妻は定期健診として病院に行っていました。

お昼直前に妻からのLINEで「入院した(笑)」ときて、
生まれるのか!今日生まれるのか!!!
わくわくと不安と不思議な気持ちでテンパっていましたが、職場の上司に午後帰りますと告げ、走って駅へ向かい電車に乗り込みました。
この時、まだ陣痛はひどくなく、妻にも余裕があったため、お昼ご飯にとコンビニでおにぎりと飲み物を買っていきました。

14時ころ、病院につくと妻はベッドに横たわって陣痛の度合いを数値化する機会に接続されていました。
その心電図のような機械からは心臓の音のようなものが聞こえ、数値が上昇するにつれて妻の表情は苦しそうになっていた。

これが陣痛か…
でもこれを乗り切ったら新しい家族の誕生か。
がんばれ。がんばれ。

テレビで見たように、妻の手を握りながら励ましていました。

陣痛が本格的に始まってから、数時間経ったのですが、進展はありません。
周りにいた妊婦さんたちが次々と分娩室へ運ばれ、生まれてくる赤ちゃんの元気な産声を何度も聞きました。
わが子の産声もそうなのか。と想像を膨らませ、人が誕生する瞬間の神秘さを待ち望んでいました。

もう時間はあまり覚えていませんが、妻の入院(10時頃)から既に8時間は超えたころだったかな。
分娩室のひとつ前の部屋、陣痛室にいました。
この頃になると陣痛周期も短くなり、15分だったかそれぐらいでやってくるようになりました。
看護師?助産師?の方から、腰をさすってあげる。テニスボールで腰を押す。など伺いました。
テニスボールはあまり効果がないみたいで、陣痛で痛みがやってくると手で腰をさすっていました。

時間は経ってもなかなか産まれる気配がしない。
時折先生がやってきて、子宮口の開き具合を見ていました。
開いてはいるけど、開きが遅かった。

いつ産まれるのか。
聞いていた話と違う。
もう何時間だ。

なんて思っていましたが、それ以上に妻は苦しく、痛みに耐えていました。
しかし22時を超えたころ、もうだめだ。「切ってくれ(帝王切開)」と懇願していました。
医者や看護師に「もう少しだからがんばろうね」って言われると…
「もう、こ〇してくれ」なんて言葉も出ていました。
残酷な空間でした。
さすがにそんな言葉を言い出した嫁を陣痛が収まった時に説教しました。
私が行ったことは、批判される対象かもしれませんが、

出産が大変なのはわかっていましたが、こんなにも苦しく辛いものになるとは思ってもいませんでいた。
だって切迫流産と言われて人ですよ?

ポン!と生まれてくるものと思っていました。

この頃になると陣痛は5分おきぐらいに1分間の痛みがやってきていました。
その都度私は背中を強くさすっていました。
指紋がなくなりそうでした。

気が付けばもう時計は0時を回っていました。
既に陣痛から14,5時間は経過しています…

終わりの見つからない痛みは続いていきました。



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